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フィラデルフィアに学ぶサステイナブルな環境づくり


 

■使い捨ての危機から甦ったアメリカの都市

 司馬遼太郎氏はその「アメリカ素描」という紀行文の中で、1980年代前半にアメリカ東部の町フィラデルフィアを訪れたときに受けたショックをこう表現している。「アメリカにきておどろいたことのひとつは、機能を失った都市を、平然と廃品同然にしていることだった。フィラデルフィア市を見てそうおもった。日本でいえば、大阪を廃品にするようなものである」。

 司馬氏はワシントンDCからニューヨークへ向かう途中で鉄路フィラデルフィアに入ったため、その車窓から見た使われなくなった造船所などの鉄鋼製構造物の巨大な廃墟群に強い印象を受けられたようであるが、フィラデルフィアはかつて世界の造船所として、日露戦争時に日本海で大海戦を演ずることになった日本とロシアの軍艦を、夫々の国から注文を受けて、同時に同じ造船所で建造していたほど産業が盛んであった。その後、製鉄業をはじめとする製造業の衰退が徐々に進み、アメリカ海軍の造船所も200年に及ぶ歴史の後1996年についに閉鎖され、現在はその遺構を活かしながら、ビジネス・パークとしての再開発が進んでいる。

 


「馬車道マルシェ」人力車や馬車に試乗できる。 現在の馬車道(旧横浜正金銀行/現神奈川県立歴史博物館前)
写真左:版画に描かれた1734年当時のジョージア州サバンナ
写真右:フィラデルフィアの都市計画図(1682年)

 

■広大な森を背景に開かれた理想の町フィラデルフィア

 私もアメリカの都市の形成に関する関心から、1980年代半ばにジョージア州のサバンナやチャールストンなど、植民地都市として築かれた東部の町を見て歩いたことがあるが、自然の森が開かれて町が築かれ、文明が入っていくイメージは1734年当時のサバンナを描いた版画などに良く描かれていて興味深い。

 西欧諸国の植民地であった当時のアメリカ大陸は、東部の沿岸域からはるか大陸の内部まで広大な森林地帯であったわけで、西欧社会における人類と森のかかわりに関して書かれたジョン・パーリンの著書「森と文明」を読むと、いかにイギリスを始め当時のヨーロッパ諸国がアメリカ大陸の自然資本に依存していたかが良く分かる。新大陸から持ち出された大量の金と同時に、特にニューイングランドを中心としたアメリカ東海岸の豊かな森林資源は莫大な富と力をもたらしたようだ。

 フィラデルフィアは今からおよそ300年前の1682年、当時のイギリス国王チャールズ二世から特許状を得たウイリアム・ペンが、自らもその一員である敬虔なピューリタン的プロテスタントの一派で、別名「フレンド会」ともよばれるクエーカー教徒を率いて入植し、理想的な植民地の設立を意図して切り開いた町である。入植当時のフィラデルフィアは、ウイリアム・ペンがデラウエア川からスクルキル川に至る1、200エーカーの土地を碁盤目状に街路で区画したにもかかわらず、ペンが1701年にこの地を去った時は、まだ川沿いの部分に2,000人程の人々が暮していたに過ぎなかったようだ。その後町が西に向かって発展し、セントラル・スクエアにペンの構想通りに市庁舎が建てられるまでには200年以上の歳月がかかっている。しかし、ペンが去った後もフィラデルフィアはペンの計画に沿って発展を続け、今でもその中心部には、ペンの言葉そのままに「緑が溢れる多少田舎のような風情だが閑静な都会」となるべく、チェスナット・ストリート、ウォールナット・ストリートなどと森の木の名が付けられた道路が走り、広場があって、昔ながらの古い街並が残っている。そして、ペンの自由で寛容な精神を受け継いだ風土から、フィラデルフィアは他のどのアメリカの都市よりも多様な宗派の数多くの宗教建築がある。

 この町は、アメリカにとって特別な意味を持った場所でもある。1776年7月4日、「自由・平等・博愛」を謳った独立宣言と合衆国憲法が起草され採択された場所であり、「アメリカ合衆国誕生の地」あるいは「自由の発祥地」と見なされているからだ。フィラデルフィアの町の歴史と伝統はアメリカの原点であるとの誇りから、永年の町の人々の努力が実を結び、特に1990年代に入ってからはアメリカでも模範的なダウンタウンの美化と再生に成功した町となったことは今回の訪問で十分実感できた。そして今、ペンシルヴェニア州政府レベルでも、全国に先立つサステイナブルな社会整備を目指して具体的な施策を始めたことなどを、今回のAIA大会参加を通して知ることが出来た。

 


「馬車道マルシェ」人力車や馬車に試乗できる。 現在の馬車道(旧横浜正金銀行/現神奈川県立歴史博物館前)
写真左:Reading Terminal/Head House, 1893年竣工(大会会場となった大ホールと展示会場はこの奥にある)
写真右:軽量鉄骨トラス屋根屋上の緑化事例をツアーで見学(フィラデルフィア・フェンシング・アカデミー)

 

■AIA大会において決議されたこと

 21世紀最初のAIA大会は2000年の5月4日から6日までアメリカ建国の都フィラデルフィアにて開催された。地元フィラデルフィア支部も、コミュニティの再生に高い評価を得て企画した大会だけのことはあり、「新しい世紀、新しいビジョン、住み良い社会を目指して」という大会テーマの下に、約2万人の参加者があり、AIA大会としては史上最大規模の大会となった。今年も継続教育の対象となる200近いセミナーや各種ツアーが大会プログラムとして用意され、650社以上が参加したEXPOも併催され盛況を呈したが、本大会においては大会テーマを受けて次の5つの決議が採択された。

1.フィラデルフィアの建築&デザイン・チャーター・ハイスクール設立を評価すること。

2.AIAの政策の一部として、住み良いコミュニティづくりのための基本的見解を採用すること。

3.サステイナブル・デザインを設計活動へ統合すること。

4.電子的なウエブ上のAIA配布書類の扱いとそれによる収益の配分に関すること。

5.電子情報に関する収益の配分に関すること。

 アメリカにおける教育問題の大きな進展に関しては、日本においてもチャーター・スクールの開設などが紹介されているが、AIAも地元支部がコミュニティにおいてリーダーシップを発揮して、NPOとしての学校の設立運営にかかわろうとしていることは興味深い。住み良いコミュニティ(Livable Communities)に関する決議とサステイナブル・デザインに関する決議はお互いに深く関連する事項であるが、ここではサステイナブル・デザインに関する決議文を紹介したい。

 決議の目的は、「AIA会員建築家にとってサステイナブル・デザインとは質の高いデザインと責任ある設計行為の基礎となるものであることを認識して、サステイナブル・デザインをAIAの定める設計活動とその手順の中に統合すること」とある。そこに至る認識として、次の5つの事項が挙げられている。

1.環境の保全と保護は一般大衆の健康と安全と福祉にとって欠くことのできないものである。

2.アメリカ合衆国における経済的繁栄と人口増加の相乗効果は自然資源に対して絶えず増大しつづけている圧力をかけている。

3.最も広い視点から見ると、サステイナビリティとは社会がそれに依存する要となる資源の消耗や過剰により衰退へと追いやられることなしに、未来に向かって正常に機能しつづける能力を言う。

4.サステイナブル・デザインとは、自然生態系や動植物の生息地保護、エネルギー資源・水資源・原料資源の保存、廃棄物や汚染の減少、再生可能なエネルギー資源の利用促進、リサイクル率の向上と建設工事や建物の取り壊しから出る廃棄物の削減、室内環境の質を高めることの推進など、多くの分野を統合するデザインに対するアプローチである。

5.AIAは、建物設計や建築物の配置計画などに関連する環境デザインやエネルギー保存、そして自然資源の保護などにおいて我が国の執事役を果たしてきた。

 AIAがとるべき行動としては、次の2点を決議した。

1.AIAはその会員の設計図書(AIAによる発注者と建築家間の設計契約図書や主要な特記仕様書の体系)にサステイナブル・デザインを組み込むことを支持する。

2.AIAは、統合的なデザインプロセス、生産性の向上、そしてライフサイクルコストの低減を含むサステイナブル・デザインから得られる利益を定量化すること、また高機能な建物や次世代型サステイナブル・デザインの解決法を創造するために設計技術や教育のためのリソースを開発すること、そして建築資材や材料に関連する生涯にわたる環境影響に関する情報のナレッジベースを進展させること、さらにAIAのデザイン表彰制度におけるサステイナブル・デザインへの配慮を行なうことなどを通して、自然資本の管理や自然資源の保全と保護につながる発案を支持する。

 


「馬車道マルシェ」人力車や馬車に試乗できる。 現在の馬車道(旧横浜正金銀行/現神奈川県立歴史博物館前)
写真左:グリーン・デザイン手法を説明するJohn A. Boecker氏(AIA大会のグリーン・ビルディング・セミナー)
写真右:二重床による床吹出し空調システムの説明(AIA大会のグリーン・ビルディング・セミナー)

 

■サステイナブル・デザインに関する3つのセミナー

 ロッキーマウンテン研究所のビル・ブラウニング氏による講演は、日本でも最近邦訳が出版された「グリーン・デベロップメント」の事例報告が主であった。ペンシルヴェニア州環境保護局長官であるジェームズ・シーフ氏による「ペンシルヴェニア州のグリーン・ビルディング政策」に関する講演では、州のグリーンビルディング政策と実践例の紹介を中心に、如何にペンシルバニア州が様々なツールを使いながら、サステイナブルな建築活動の実行と展開において全国的なリーダーとなったかなどが話された(http://www.gggc.state.pa.usに詳しい関連記事があるので参照されたい)。

 「グリーン・ビルディング・デザイン」のセミナーは、州都ハリスバーグを拠点にグリーン・ビルディングの設計や州政府へのコンサルタントなどを行なっているジョン・ベッカー氏らによるもので、建物のグリーン化技術とサステイナブル・デザインの主要な目的、システムを統合するデザインプロセスとグリーンデザイン実行のための基本的方法論、サステイナブルな材料の選択のためのクライテリア、エネルギーの消費分析のための基本的な方法論の概説などが話された。

 ジョン・ベッカー氏は、グリーン技術とは「自然と技術の知的な統合」と定義して、高機能なグリーン・ビルディング・デザインの主な目的を次のように掲げている。

1.ENERGY:建物のエネルギー消費と運営コストを顕著に下げるために、それに適した技術の活用を図ること。

2.MATERIALS & RESOURCES:再生不能な資源の利用を最小限にして、サステイナブルな材料の活用を最大限図ること。

3.AIR QUALITY:室内の空気の質に対するネガティブな影響を最小限にすること。

4.HEALTH:より良い高度にフレキシブルな環境を創造することを通して、建物使用者の健康と就労意欲と生産性の改善を図ること。

 そして建築家など建物の設計に携わる者は、より賢い選択を行い、とるべき他の手段を設計において指定することにより、地球の温暖化、オゾンの枯渇化、エネルギー消費、天然資源の浪費、埋立て廃棄物、水の無駄遣い、貧弱な空気の質、そして健康被害へと繋がる要因を大きく低減させることができる責任ある立場に置かれていると結論付けている。

 講演の内容からは、物だけの視点でなく人の経済的活動を取り入れたり、建物や設備の性能指標という視点だけでなく、そこで生活しまた働く人間の健康や作業生産性や満足度も含めて考慮しようとする視点が印象的であった。実際、企業の経済活動から見ると建物の取得と維持管理費は人件費に比べて僅かであり、アメリカらしい合理的な考え方も伺える。

 


「馬車道マルシェ」人力車や馬車に試乗できる。 現在の馬車道(旧横浜正金銀行/現神奈川県立歴史博物館前)
写真上左:オールド・キャンパスの風景(スワスモア・カレッジ)
写真上右:キャンパスの中庭で憩う人々(ブリンマー大学)
写真下左:この土地にもともとあった納屋を改装した集会所(ペンドル・ヒル)
写真下右:コブ工法とストローベイル工法によるグリーンハウス内部(ペンドル・ヒル)

 

■豊かな環境とクエーカーの設立した教育機関

 ところで、フィラデルフィアの町を築いたクエーカーの人々は、教育機関の設立運営にも熱心で、近隣の町にハヴァフォード大学やスワスモア・カレッジ、それに津田塾大学のモデルともなったブリンマー大学などを開設している。ブリンマー大学は素晴らしいキャンパスと教育環境を誇る東部屈指の名門女子大学であるが、キャンパスの外縁にルイス・カーンの設計したエルドマン・ホールがある。旧キャンパスのゲートを抜けて林の中を真直ぐ歩いて行くと、地元のスレートを外壁に用いた幾何学的だが端正な建物が見えてくる。周囲は時折足早に通り過ぎる女子学生の足音を除くと、木々と戯れる野鳥の囀りだけが響く環境だ。スワスモア・カレッジは南のウォーリングフォードにあるが、やはりキャンパスの中心部は良く手入れされた木々とチューダー様式のカレッジの建物が絶妙な調和を見せる実に美しいキャンパスである。そしてそのキャンパスに隣接した緑濃い住宅地の中に「ペンドル・ヒル」がある。

 「ペンドル・ヒル」は、フィラデルフィアの近郊にあるクエーカーの成人学校で、アカデミックな教育を目指す他の大学とは異なる目的を持つ教育機関が必要との判断から1930年に設立された。この学校では、宗派・国籍・年齢を問わず、人生の転機にある人、ひとつのことをじっくり考えたい人、サバティカル休暇を自分のために役立てようとしてきた学者などが一定期間集団で共同生活を送っており、日本では精神科医の神谷美恵子女史が学んだところとしても知られている。ペンドル・ヒルの環境も神谷女史が1939年に訪れたときは、「ゴッホの画にあるような草ぼうぼうの丘がなだらかなうねりを起伏させている只中にペンドル・ヒルはあった」と記述されているが、今は点在するキャンパスの建物や周辺の住宅は、それらを覆うように繁る緑豊かな樹林の中にある。

 私はそのホームページから、ペンドル・ヒルのキャンパスにグリーンハウスが最近建設されたことを知り、是非見たいと思い訪れたわけであるが、聖職者でもない一般の人々が思索と祈りのために共同生活を行なう場がこうして営々と営まれていることに新鮮な驚きを覚えた。

 ペンドル・ヒルのグリーンハウスはキャンパス内でパーマカルチャーを実践する場として、学生が中心となって最近建てられた建物であるが、コブ工法やストローベイル工法などが実験的に用いられていて興味深い。ペンドル・ヒルの環境への取り組み自体も、食材の購入指針から始まり、生ごみのコンポスト化と有機農園での使用、寄宿舎や事務所の維持管理、キャンパス内の庭や樹木の管理、作業グループの運営や環境教育プログラムの提供など64項目が提示されているなど具体的だ。そもそも彼らが集会所として使っている建物は、この土地にもともとあった納屋を改装して再利用しているものであり、またキャンパスの敷地内は豊かな自然環境が保たれ、樹木の種類などが克明にマップに記録されているなど、学園がこの環境を注意深く守ってきたことが伺える。

 ペンドル・ヒルの環境への取り組み目標は、地球上の空気や土や水へのネガティブな影響を削減することと、その資源の適切な共有を図ることとされている。これは小さなコミュニティにおけるささやかな試みかもしれないが、日常的な生活の中で実践している姿を見て、そのフィールドに身を置くことは示唆に富む貴重な体験となるのではないかと感じた。

 


横浜都心部における馬車道の位置
写真左:フィラデルフィアのフェアモント・パーク内に保存修復された松風荘(吉村順三設計)
写真右:縁側から池の鯉を呼ぶ地元の小学生たち(フェアモント・パークの松風荘:吉村順三設計)

 

■新渡戸稲造とフィラデルフィアの「松風荘」

 明治から昭和初期にかけて、教育者としてそして日本と米国の橋渡し役として偉大な業績を残し、今は五千円札にその肖像が刻まれている新渡戸稲造は、アメリカ留学時代にクエーカー教徒となりここフィラデルフィアのフレンドの集会堂でアメリカ人女性メリー・エルキントンと結婚した。その後、病気療養のため再度アメリカに渡った時に38歳の若さであの「武士道」を著したのも、ここフィラデルフィア校外の町、マルヴェルンである。武士道に著された日本の伝統的精神とクエーカーの思想が新渡戸の心の中でどう共存していたのであろうか。武士の質素な住まい、自然と対峙するのではなく共存して生きる日本の生活様式は、今地元のフェアモント・パークに移築され、保存公開されている吉村順三の設計による「松風荘」によって、広くアメリカの人々に伝えられている。武家社会における建築様式である書院造りの建物は、地元の小学生児童が学外教育の一環として年間数千人訪れる場となっているが、その広い縁側は満開のツツジに縁どられた池を中心とした広い庭につながり、自然と一体的な日本建築の開放的な空間を体験させてくれる。

 アメリカの都市の歴史は、フィラデルフィアに見るように高々300年余に過ぎないと言えるかもしれない。しかしながら、新大陸の大自然と人間との係わりやその環境の移り変わりは、人類の文明の生きた縮図であるとも言える。21世紀に入って、はたしてギルガメッシュ叙事詩に詠われているように、街は文明と共に崩壊していくのか、それとも人間の知識と技術革新によりその危機を乗り越えていけるのか。成熟期へ向かいつつある社会を維持し支えるのは、その隅々で働く人々の行動とそれを導く心のあり方にかかっているのではないかと、リッテンハウス・スクエアに面したカーティス音楽院でバイオリンの調を聞きながら、思いを巡らし旅の最後を締めくくった。

       <米澤正己、AIA,RIBA,JIA会員、(株)パシフィック・デザイン・システムズ主宰>




  写真撮影は全て米澤正己によるものです。無断で複写・転載することを禁じます。
この原稿はJIA日本建築家協会関東甲信越支部「JIA Bulletin 2001年5月号/海外レポート」に
「フィラデルフィアに学ぶサステイナブルな環境づくり」として掲載されたものです。